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伊藤若冲の鳥獣花木図 屏風 升目描きについて雑考 06 [Des notes sans fin φ(。。)]

通説 西陣織りの「正絵」の実体が紋意匠図であることを指摘して 伊藤若冲の升目描き
との関連は 方眼で仕切られた各空間を 経糸(縦糸)と緯線(横糸)の交差に対応して
彩色していく 「把釣(はつり)」にあるとの解釈に着地しました.

さて この屏風の形式面での特徴の一つに升目に分割された空間を一旦塗りつぶしていることが指摘できます. 塗りつぶすとは 点が線に転じ面に広がるプロセスに他なりません.この課程は 経糸(縦糸)と緯線(横糸)の交差を点にして 線にし面にしていく紡績の
工程とパラレルな位相にあります.多重多岐な糸の紡ぎの果てに現れるのは 「織物」
です. こう考えるとあっけないのですが この屏風は 形式上では一種の「織物」を表象
してる暫定的な総括に辿りつきました.

「織物」と想定した場合 以下を帰納できると思います。 デザインは繊細さ装飾の豊かさはある程度犠牲にする必要がある. 言い換えれば 物理的に技術的な制約上 抽象化を図り 装飾性を犠牲にする必要が出てきます. 静岡県立美術館が所蔵する《樹花鳥獣図屏風》に一種の「ぎこちなさ」を感じるのは 具体にこだわり 装飾を豊かにしている
からだと思います.(雑考1に戻る)

スクリーンショット 2016-12-20 13.37.45.jpg
引用元 栃木県美術館
http://www.artnet-tochigi.org/main/5-mcs/tpmoa-081108.html

そして 屏風の体裁で「織物」を表現したのは
両者とも 折り畳めて収納・保管できる共通点に着目した、とも云えます..

では これは 西陣織りの反物の一種を表象しているのでしょうか?
西陣織りの歴史を検索してみると 否定的に至ります
「西陣焼け」と呼ばれる大火以降 西陣自体はいわば斜陽化していったことが判ります こうした西陣の発展に一つの影を落としたのは,享保15年(1730)の大火「西陣焼け」である。(中略)  しかし,機業の焼失はそこで働く従業員たちも職を失うことである。復旧に手間取るほど蓄えのない彼らは生活に困り,離散していった。8代将軍吉宗による「享保の大改革」が行われ,桐生,長浜,丹後など地方機業の勃興が著しい時期だっただけに,この西陣焼けは西陣機業に想像以上の打撃を与えた。

引用元 京都市上京区市役所
http://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012468.html
多工程からなる西陣織りにおいて 機械の消失 職人の離散は致命的です.
識者が指摘する 西陣織物商 金田忠兵衛 が円山応挙等の絵に興味を示していたという言説 そして,伊藤若冲の遠戚であった事実/事情は 西陣の復興への新機軸模索の試みとしては興味深いのですが、本屏風と何らかの関連つけることには無理があるように思えます.

さて では ここで表象を試行されている「織物」の正体は?と考える際に、 西陣織り→芸者→祇園→祇園祭りと単純に連想してみて Youtubeで検索して 辿り着いたものは 祇園祭りの山鉾の掛装です. 

西陣織りにはみられない 縁取りが配置されいて屏風との近似を大いに感じさせられます.ここで 屏風が 織物であり タパストリ / 壁飾りの一種を表象しようとしたとの仮説に到達しました.そして 縁取りがペルシャ絨毯のボーダーと呼ばれる
装飾とレイアウトが近似していること等から この屏風がペルシャ絨毯を形式的には
表象している妄想に及びました.(NHKの番組で同様な指摘がありました) 次稿はこれを
屏風での表象から検証します.